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*街道をゆく 佐渡のみち*


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たまには読書を、そして佐渡についての知識を深めなければ、ということで、司馬遼太郎 街道をゆく 佐渡のみち、を読んでみました。司馬氏が佐渡を訪れたのは昭和50年代の初めころ、まだ国道沿いに島外からの大きなチェーンストアが立ち並ぶ前の時代です。金山で栄えた江戸時代、佐渡奉行は江戸にいて任期中何度かしか佐渡に来なかったという時代もあり、そのため相川の町奉行と留守居役の役人が任期も長かったりすると、腐敗・綱紀のゆるみもあったようです。
そんな中、辻藤左衛門という優秀、公正な人物が相川の町奉行に任命される。
「当時、相川の人口は十数万人だったという説もあり、そうだとすれば日本有数の大都会といってよく、その民政官はよほどの人材を選ばねばならぬと伊丹(注:当時の佐渡奉行、伊丹播磨守康勝)はおもったにちがいない。それにしても、辻藤左衛門にとっては異数の抜擢であり、同時に相川の役人たちにとっては、最初から不満で、不愉快で、さらにいえば慣例上ゆるしがたい人事でもあったに相違いない。」
そんなことで辻藤左衛門は「孤立し、狂人のごとし」、とされ追い落とされ、その後役所の実態を伊丹に直訴しようとしたことがバレ、「辻藤左衛門、乱心」ということで一同申し合わせ江戸に使いを出し、辻は切腹を命ぜられる。
辻は小比叡の蓮華峰寺に一族郎党、辻を慕い役人に憤慨する蓮華峰寺の僧侶、寺領の百姓たちと共に籠城、小型の戦同然の構えをし、非業の最期を遂げる。また、金山で労働させられた「無宿人」。「農村などで息子が犯罪をおかしかねない不良少年だったりすると、親兄弟が相談して人別帳から抜いてしまう。」江戸に出ればなんとか食えるということで江戸に集まった、そんな「公民としての保護が受けられないというすさまじい十字架を負った」無宿人が佐渡に送られ、「地獄にもありえない」労働をさせられた。
佐渡金山も最初のころは取りやすい所で金をとっていたが、しだいに坑道は深くなり、どんどん地下水が出てきて、これを人力で汲み上げていました。
賃金がいいので、佐渡の農民も手間仕事で行く場合もあったが、「三日もやると、足腰が立たなくなる」といわれ、一時奉行所が村ごとに人数を割り当てたこともあったが、いかに賃金が高くても、農民は動かなかった。
無宿人は灯明と換気の悪さで一酸化炭素にやられその場で死ぬ者も多く、そうでなくても三年前後で死んだそうです。
「江戸幕府は、同時代の地球上のいろんな政府にくらべ、ほめられるべき点も多い。しかし最大の汚点は、無宿人狩りをやっては、かれらを佐渡の水替人夫に送ったことである。しかも犯罪者ではない。無宿の中でも犯罪者は原則として送らない。犯罪を犯すような猛々しい連中の管理は、佐渡奉行所の能力を超えるという理由である。罪のないーいわばおとなしいー無宿人をえらんではつかまえ、一人ずつ唐丸籠に入れ、五十人、百人と送った。」

司馬氏は執筆の際に膨大な資料を読んでいたと言われ、人間への深い洞察にあふれていると思います。
人間は歴史から学ばなければいけない。

佐渡に旅行に来る方も、お休みを取って、残業して仕事を片付けて、時間のあまりない中予約を入れたりして、と想像しますが、来る前にこう言った本を読んだりすると、より感慨が深いと思います。

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